どん底でみつけた宝物 どん底でみつけた宝物
  • BLOG
  • SERVICE
  • About
  • Contact Me
  • BLOG
  • SERVICE
  • About
  • Contact Me
  •  

personal History

Category: personal History

どん底でみつけた宝物

◆どん底でみつけた宝物◆Personal History④

 

デザイナーとして契約していたブランドで、

プロバー消化率75%越えを記録するなど、

自分の企画の売上が良かったため、

今思うと、少し傲慢になっていたのかもしれません。

 

その売上は企画だけの成果ではなく、

生産工場、営業、販売すべての力の結晶だという意識がだんだんと薄れ、

自分の力のように勘違いしていったのかもしれません。

 

そして、契約は更新されず、打ち切りになってしまいます。

 

 

 

そこからは、徐々に思うような仕事に恵まれなくなり、

自分のブランドも赤字がかさみ、クローズに追い込まれます。

 

 

そして、ストレスからか、原因不明のめまいで倒れてしまいます。

救急搬送され入院。

動くだけで吐いてしまうほどでしたが、幸い1週間ほどで退院できました。

 

 

そして、静養中だった私にさらにショックなことが、、、

 

私が退院して1ヶ月後に、元気だった父が急に倒れ入院。

なんと2週間後にあっけなく逝ってしまったのです。。。

 

 

 

仕事を失い、

父を失い、

頑張って築いてきた世界が崩壊するような感覚、

深い深い見えない底に向かって落ちていくような感覚を味わいました。

 

 

 

それまでの自分を振り返り、

 

どれほど大勢の人の助けがあって、今までやってこれたのか、

 

それに対しての感謝がなさすぎたことを思い知ります。

 

 

 

これからは、今までの恩を返していかなくては、と心に誓います。

 

 

なにができるだろう?

 

 

自分が一番得意なのは、やはりファッションに関わること。

 

 

でもデザイナーとしては、やりきった感がありました。

また、アパレル業界を取り巻く環境も変わり、

私が志向するもの創りは難しい状況になっていました。

 

 

そんなとき、ふとネットで目にしたイメージコンサルタントという仕事に

なにかを感じ、調べるうちに、

 

自分のこれまでのキャリアがすべて活かせること、

そして、ダイレクトに人のお役に立てることを確信します。

 

 

わざわざ資格を取らなくても、という声もありましたが、ディプロマを取得。

デザイナーとは違うスキルが必要だと感じ、きちんと学びたかったからです。

 

 

ここへきて、無駄にしたと思っていた時間、

無駄だったと感じる自分のキャリアが、

実はすべて必要なものだったことに気づきます。

 

OLとして働いた経験は、

会社勤めのクライアントの日常を理解することにおおいに助けとなりますし、

 

癌を患ったことで、

辛い病気を持つ人の気持ちを少しは理解できるようになりました。

そして、病気はチャンスを奪うものではなく、

たくさんの気づきを与えてくれるものだということ、

本音でコミュニケーションすることの大切さに気づけました。

 

傲慢になって、すべてを失う経験をしたからこそ、

自分と他者へのリスペクト、

感謝の気持ちがすべての物事のベースなのだということに気づけました。

 

 

どん底だと思っていた過去こそが、宝物だと気づいたんです。

 

 

そんな今のわたしだからこそできること、したいこと、

 

それは、

そんなファッションを通じて得たすべてのリソースを

縁あって出会えた方たち(リアル、ネット関わらず)の理想像(未来)を

具現化するためのお役に立てたい。

 

 

ファッションは自分のポテンシャルを引き出してくれる

素晴らしいツールです。

 

 

ファッションは、

私を世界のいろんなところへ連れて行き、

いろんな人に引き合わせ、

素晴らしい経験を引き寄せてくれました。

私の人生を作ってくれたと言っても過言ではありません。

 

 

ここまで山あり谷ありでしたが、

谷底の時にも、エネルギーとインスピーレーションを与え続けてくれました。

そんなファッションにも恩返しがしたいです。

 

多くの人にもっともっと

ファッションの魅力とパワーを伝えたい。

そして、それを楽しんで欲しい。

 

 

ファッションをツールに欲しい未来を引き寄せて欲しい。

 

 

自分らしさでピカピカに輝いている

そんな幸せな人が一人でも多くなれば、

世界はもっと居心地良い場所になる。

 

そんな世界を創りたくて、

微力ながら、情報をシェア=発信していきたいと思っています。

 

同じ価値観を持ち、本当に必要としている人に、

その情報を届けることが、

私の使命でもあると思っています。

 

 

 

 

4回にわたってお付き合いいただきました

私のパーソナルヒストリーも、今日で終わりです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

これから、また新しいストーリーが紡がれていくと思います。

 

いきなりの告知ですが、

5/12(日)に、東京でお茶会を企画しています。

みなさんと楽しくファッショントークできたらと思っています。

ご相談、ご質問も大歓迎です。

ブログをお読みくださっている方と

楽しくお話できたら嬉しいです。

 

詳細は決まり次第、LINE@で配信させていただきます。

興味のある方は、ぜひご登録くださいね。

 

⇩  ⇩  ⇩  ⇩

友だち追加

ID: @uik0435e

 

「パーソナルカラーが丸わかり!」なテキストも

もれなくプレゼントしています。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

ご質問、ご相談などありましたら、

お気軽にお寄せください。

記事への感想もお待ちしています。

LINE@で送っていただくのも歓迎です^ー^

Read More
神様の贈り物

◆神様の贈り物◆Personal History③

自分のオリジナルブランドのローンチです。

最初は、わからないことばかりで、まさに無我夢中でした。

デビュー展示会も、友人たちに手伝ってもらい、

まさに手作りの展示会です。

ラッキーなことに、業界紙にも取り上げられ、

オーダーくださる取り引き先もできました。

経営のノウハウなどなにも知らずにスタートしたため、

商業的には全くの赤字でしたが、

有名セレクトショップが買い付けてくれるなど、

それなりの成果は出ていました。

何シーズンか過ぎた頃、デザイナー仲間からの

「パリコレには出ないの?」の問いかけに、

「え?出れるの?」と、素人のような反応をしていた私。

そこからの事務局への問い合わせです。

ロンドンにいた頃にお世話になった知人の紹介で、

あるサロンにコンタクトを取ったところ、

なんと、出展許可をいただけたのです。

パリコレ(合同展)出展が決定したんです!

そんな、胸いっぱいに期待を膨らませていた時に、体に異変が。。

なんと、悪性の腫瘍(癌)ができていて、すぐに手術が必要とのことでした。。

一瞬頭の中が真っ白になり、

ショックで吐いてしまいました。。。

・

・

・

でも、70%の確立で治る、という医師の言葉に気を取り直し、

一般向けの医学書を読みあさり、

それに従って、セカンドオピニオンを求め、

手術を決意。

その後、放射線治療、化学療法も受けることにしました。

この時期に、

人生について、

なにが幸せなのかについて、

ものすごく考えました。

辛い、というよりも、

「なぜ(わたしが)?」

という思いが、自分の中に渦巻いていて、

それは「悲しみ」というよりも、

「怒り」に近い感情だったように思います。

この思いは今も完全には癒されていないかもしれません。

そのときに流されなかった涙が、

もしかしたら今もまだ胸に沈んでいるかもしれません。

でも、それは決して悪いことではなく、

私の宝物だと、今では思っています。

以前はネガティブなものは良くないもので、

排除すべきもの、みたいなことを思っていましたが、

人間はどこかにネガティブなものを抱きつつ、

成長していくものなのだ、と今は思っています。

自分がネガティブなもの(悲しみや怒り)を持っているからこそ、

人の痛みやネガティブな面を受け入れることができるのだと思います。

この頃から、スピリチュアルな世界にも興味を持つようになりました。

ネガティブなものは、自分を磨くための神様からのプレゼントなのだと思います。

正面から向き合って、それを認めることができれば、宝物になります。

自分の中にあるネガティブな部分を赦すことができれば、

人はとても強くなれます。

そして、このときに痛感したのが、ファッションの持つパワーです。

おしゃれをすると気分が明るくなるんです!

入院中、少しでも楽しく過ごせるよう、おしゃれで肌に優しい下着やパジャマを、

髪が抜けたときのために、おしゃれなウィッグを、

(幸い、髪が抜けることはありませんでしたが。)

スタイリストの友人とショッピングしているだけで、

病気のための買い物なのに、病気のことを一瞬忘れ、

ウキウキして楽しかった感覚を今でもはっきり覚えています。

ちなみに、手術の際、

「できれば、(メスをいれるのは)このあたりに、こんなラインでお願いします」

と言って、お医者さまに

「さすがデザイナーですね」

と言わしめた私です。

手術後には、逆にお医者さまから

「どうです? きれいに仕上がったでしょう?」

と言われてしまいました(笑)。

セカンドオピニオンを求めたときにも痛感しましたが、

この病気で学んだことは、

自分が本当に知りたいことは、聞かなければわからないし、

またして欲しいことは、口に出して言わなければ伝わらない、

ということです。

そうしていく中で、相手との信頼関係が育まれていくんだと気付きました。

ひとりよがりの思い込みは邪魔になるだけだと。

誰かが 「聞いてくれなかった」「してくれなかった」のではなくて、

自分が「聞かなかった」「して欲しいと言わなかった」んですね。

ちょっとした疑問や要望があるときでも、ついつい人に遠慮しがちだったわたしは

「まあいいか」で引いてしまうところがあったんですが、

さすがに「癌」という病気の前では、遠慮している余裕はありません。

決して周囲に対して思いやりを欠いてもいいということではありませんが、

自分のニーズをちゃんと把握して周囲に伝えるのは、

自分の責任なんだ、と気付いたんです。

そして、半年後には、夢だったパリコレサロン出展が待っています。

癌の発覚後も、パリコレの準備は進めなくてはならず、

治療以外の時間は仕事を続けていました。

「パリコレに行く!」という目標があったからこそ、

辛い治療も乗り切れたんだと思います。

当時、なにもかもひとりで運営していた私ですが、

さすがに、パリにひとりで行って、展示会を行うのは無理です。

そこで、友人のスタイリストに声をかけたところ、

二人のスタイリストが同行してくれることになり、

その話を聞いたライターの友人もそれに加わることになりました。

友人たちのバックアップで、またも手作りの展示会です。

ブースのディスプレイも可愛く仕上がり、来場者にも好評でした。

わたしのコレクションは色使いが日本人ぽくない

(フランス人かスペイン人みたい)とよく言われるのですが、

このときも、日本人とは思われていないようで、

日本人かな?と思われる方に、

こちらから「こんにちは」と声をかけるとびっくりされました。

海外のデザイナーさんとの交流も楽しく、

ニューヨークから来ていたバッグデザイナーさんとは、

お互いの商品が気に入って、友だちになりました。

パリのプレスオフィスも決まって、

雑誌にも度々掲載されるようになり、

展望が見え始めました。

ここまでの実績で、有名アパレル、ブランドからオファーをいただき、

デザイナーとして契約。

売上を順調に伸ばし、実績を作ります。

ところが、そんな好調な中に思わぬ落とし穴があったんです。

次回へつづく

今、LINE@に登録いただいた方に

「パーソナルカラーが丸わかり!」なテキストを

もれなくプレゼントしています。

まだの方は、ぜひこちらから受け取ってくださいね。

⇩  ⇩  ⇩  ⇩

友だち追加

最後までお読みいただきありがとうございます。

ご質問、ご相談などありましたら、

お気軽にお寄せください。

記事への感想もお待ちしています。

LINE@で送っていただくのも歓迎です^ー^

Read More
憧れの世界へ

◆憧れの世界へ◆Personal History②

 

基礎を学ぶため、まず東京の服飾専門学校に入学します。

課題に追われる毎日でしたが、憧れていた世界をぐっと近くに感じ、

好きなことをやれているからか、OL時代に感じていた閉塞感が消えていくのを感じました。

 

卒業後、いよいよ夢の渡英です。

 

誰も知り合いがいないロンドンでしたが、ラッキーなことに、

イギリス人デザイナー3人とフラット(アパートメント)をシェアすることになりました。

 

一人は数年前に亡くなりましたが、女王陛下から勲章もいただいている、

私が学んだ美術学校で、MA(修士)コースの名物ディレクトレスとして活躍した女性です。

彼女のセンスが反映されたとてもおしゃれなフラットでした。

 

 

最初は本当に言葉に苦労しました。

ネイティブの英語がなかなか聞き取れないのです。

 

でも、わからないながらも一緒にいるうちに、

なんとなく聞き取れるようになっていきます。

 

 

そして、憧れのジョン・ガリアーノが学んだ美術学校での日々。

 

 

ガリアーノを知る先生、

ガリアーノのアトリエでバイトしている同級生、

卒業生でもあるデザイナーの同居人に刺激を受けまくります。

 

 

日本とは違い、ユニークさを良しとする、

良いところを誉める教育スタイルが

日本で何となく窮屈さを感じていた私に開放感を与えてくれました。

「私は私のままでいいんだ」と心から思えるようになりました。

純粋に学ぶ楽しさを実感する毎日でした。

 

この時に、人には必ずその人にとって居心地の良い居場所があるんだ、

辛い場所に無理してい続けることはないんだ、

そう思いました。

 

そして、そう思えることができたなら、

もう、どこへ行っても大丈夫だと。

 

 

せっかくだからロンドンで働きたいと

先生に相談したところ、

 

「日本人だから、日本人デザイナーのところが良い」

 

と、日本人デザイナーのブランドを紹介され、コンタクトをとりました。

 

折りしもロンドンコレクションで猫の手も借りたい状況だったため、

アルバイトとして雇っていただけることになりました。

 

 

ここでロンドンコレクションを経験します。

使い走りから、なんちゃって通訳まで、なんでもやりました。

 

 

そしてなんと!このシーズン、当時はまだロンドンでコレクションを発表していた

憧れのジョン・ガリアーノのコレクションを見ることができたんです!

 

前年、Designer of the year を受賞して、乗りに乗っている時期で、

 

初めて生で見る、ガリアーノのコレクションの素晴らしさに感激して、

思わず涙がこみ上げました。

 

ナオミ・キャンベルのキャットウォークを生で見たのも初めてでした。

 

 

彼のアトリエでアルバイトしていた クラスメートがチケットを取ってくれたんです。

(のちに彼女は有名なデザイナーになり、ルイ・ヴィトン等ハイブランドともコラボしています)

 

 

彼女は、プレスキットなど、ノベルティグッズもいろいろとプレゼントしてくれました。

今でも大事に保管してあります。

 

ジョンは、とても気さくな人で、気軽にサインもしてくれました。

わたしは彼のサインを2枚持っています。

2枚ともフレームに入れて今も飾っています。

(1枚は昨日アップした写真です。)

 

 

その後、アルバイト先のブランドでショーに出演していたモデルさんに

自分の作品のモデルをお願いして、

カメラマン、ヘアメイクを探して、作品撮りをしました。

この写真はその中の1枚です。↓

 

 

 

そのブック(作品集)を持って、

VOGUEやELLEなどの雑誌社、

Brownsなどのセレクトショップを売り込みにまわったのは、

得難い経験でした。

 

とても印象に残っているのは、そんな一流の雑誌社、ブティックが、

無名の駆け出しのデザイナーの作品をちゃんと見てくれたことでした。

 

 

そうはいっても、そんなに簡単に道は開けず、

だんだん焦りも出てきた頃、

とても信頼している日本人の友人から

 

「自分ではまだまだって思ってるかもしれないけど(ロンドンで)十分頑張ったと思うよ」

 

と声をかけられ、ふっと肩の荷が降りたように感じました。

 

次の段階に移る時期かもしれないと、

帰国を決意しました。

 

 

帰国後、いろいろな人にブックを見ていただいた中で、

気に入ってくださった著名なデザイナーさんのオフィスに職を得て、

デザイナーとしての一歩を踏み出しました。

 

 

東コレ、パリコレなどメインのコレクション以外にもショーが多く、

オペラの衣装デザインなども手がける華やかな職場で、

ライセンスビジネスなど様々なことを勉強させていただきました。

とてもラッキーなキャリアのスタートだったと感謝しています。

 

退社後、イラストを描いたり、

知人の紹介で、デザイン画のコレクションを

当時のバーニーズ・ニューヨークのバイヤーさんと社長さんに見ていただいたりもしました。

 

その後、何社かを経て、知り合ったメーカーさんの協力を得て、

 

いよいよ独立することになったのです。

 

 

次回へつづく

 

 

 

今、LINE@に登録いただいた方に

「パーソナルカラーが丸わかり!」なテキストを

もれなくプレゼントしています。

まだの方は、ぜひこちらから受け取ってくださいね。

 

⇩  ⇩  ⇩  ⇩

友だち追加

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

ご質問、ご相談などありましたら、

お気軽にお寄せください。

記事への感想もお待ちしています。

LINE@で送っていただくのも歓迎です^ー^

Read More
デザイナーになりたい

このブログ、けっこう友人も読んでくれてるようで、

概ね「面白いよ~」という感想なんですが、

 

「ちょっと堅くない?もっと自分を出してもいいんじゃないかな。」

 

というお声も。なるほど。さらに、

 

「いままでの歩みというか、自分のことも書いてみたら?

勇気づけられる人がいると思うよ。

 

ふるたひろ美という人物をもっとよく知ってもらえたら、

ブログで発信してるメッセージももっと伝わるんじゃないかな。」

 

 

自分ではそれほど感じないのですが、わたしのこれまでの道のりは、かなり面白いみたいです。

「波乱万丈だね~」とも言われます。どん底も経験しています。

 

私の体験が、どこかで誰かの力になる、そんなこともあるかもしれないと、

書き始めました。

 

ちょっと長くなりそうなので、何回かに分けてアップしようと思います。

お付き合いいただければ幸いです。

(興味のない方は、どうぞスルーしてくださいね。)

 

 

 

◆デザイナーになりたい◆ Personal History①

 

わたしは、名古屋で生まれ育ちました。

 

子どもの頃から、絵を描いたり、手でものを作るのが好きな女の子でした。

 

とりわけ洋服のデザイン画を描くのが好きで、

小学6年生の頃の作文には、「デザイナーになりたい」と書いていたほどです。

(ちなみに2番目は「作家になりたい」でした。)

 

友だちの誕生日には、いつもなにか手作りのものをプレゼントするのが楽しくて、

縫い物も編み物も大好きでした。

 

ファッション雑誌を眺めては、気に入ったコーディネートを真似したり、

手作りしたりしていました。

 

そうする中で、モデルには素敵でも、

自分には似合わない、バランスが合わない、

 

どうすれば素敵になるかな?

 

鏡の前で試行錯誤しながら、

雑誌の提案をそのままではなく、

自分向けに翻訳して、アジャストしていくうちに、

センスが磨かれていったように思います。

 

若い頃、それも思春期の頃って、

自意識過剰というか、

「そんなとこ誰も見てないし、気にしないって」

と思うようなことを気にしますよね。

 

私も自分の容姿の気に入らないところを

ファッションで一生懸命カバーして、

ひとつずつ克服というか、受け入れていったように思います。

 

 

 

一方で、中学時代はテニス、高校時代はそれに加えてロックにはまってしまいます。

音楽関係のジャーナリストに憧れ、東京の大学に進学しようとしますが、

 

「東京の大学に行かせるほど、うちは裕福じゃない!」

 

と、父親に却下されてしまいました。

 

 

そこで、東京の大学に転入が有利な地元の短期大学に進学することにしました。

 

ところが、ブリティッシュ・ロックに夢中になり、

ガールズバンドを結成し(ボーカルを担当)、音楽活動にのめり込んでしまい、

大学転入の夢は、フェイドアウトしていってしまうのでした。

 

 

このとき以来、歌うことはわたしのライフワークのひとつになっています。

(今はジャズを歌っています。)

 

 

卒業後、父の友人の口添えで地元の商社に就職し、

航空機関係の貿易事務の仕事に就きます。

 

 

旅客機の新機種に試乗させてもらったり、

戦闘機のコックピットを覗かせてもらったりと、

面白いこともいろいろありましたが、

 

今思えば、バンド活動をしたり、ファッションも個性的な(といっても、会社に通うのに問題のない範囲の服装ですよ)私は周囲からかなり浮いていたと思います。

 

面白いエピソードがあります。

 

地元の商社には、地元短大から多くの女子学生が就職していて、

私はN社、私の親友はM社に就職しました。

偶然、お互いの同僚同士も親友だったんです。

 

私の同僚がM社の彼女の親友Hちゃんに、私のことを「すごく変わった子がいてね」と話していたようで、

それをHちゃんがM社にいる私の親友Aに「わたしの親友の会社にすごく変わった子がいるらしくてね」と話したそうなんです。

もちろん、Aが私(そのすごく変わった子)の親友とは知らずに。

ランチタイムのおしゃべりの中で出た一つの話題だったんでしょうね。

それをAが「それってあなたのことよね」と教えてくれたことがありました。

 

同僚たちとは仲良くやっていましたし、

ショックという程のこともなかったのですが、

「そんなふうに思ってるんだなあ」と少なからず疎外感を感じたのを覚えています。

 

そんなOL生活に、かなり窮屈な思いをしていたのだと思います。

 

1年目に体調を崩し1ヶ月の入院生活を送りました。

診断は肝臓が弱っているとのことでしたが、お酒は飲めないので、

ストレス性のものだったと記憶しています。

 

 

今考えると、入社1年目で早く仕事を覚えなくてはいけない身で

1ヶ月も休職というのは、会社に迷惑をかけたなあと申し訳なく思いますが、

当時は、自分のことで精一杯でした。

 

 

これを機に、将来のことを真剣に考え始めます。

 

 

敷かれたレールの上を歩かされているような気持ちになっていた私は、

「これは自分が生きたい人生じゃない!」と強く思うようになりました。

 

 

このままでは、やりたいこともできずに、

流されていってしまうのではと感じるようになりました。

 

すぐにも会社を辞めたい、という気持ちを押さえ、

「なにがやりたいのか?」を自分に問い始めます。

 

 

昔から美しいものが好きで、

なにかを作ることが好きで、

ファッションが大好きでした。

 

 

ファッション業界で働いてみたい、という気持ちが芽生え始めます。

 

 

とはいえ、親の援助は期待できないため、

経済的にも、物理的にも、

どうやってその道へシフトチェンジしていったらいいのかわかりませんでした。

 

そんな時、当時、夢中で見ていたファッション関係のテレビ番組で、

世界的に有名なロンドンの美術学校の卒業制作のショーで、

ジョン・ガリアーノのコレクションを目にし、衝撃を受けます。

 

「これほど自分の好きな世界を具現化してくれている人がいるなんて!」

 

その美術学校で学びたい!という気持ちが一気に膨らみます。

 

そして、会社を辞め、デザイナーを目指しファッションを勉強することを決意。

 

資金を貯めるためと、就職時に口添えくださった父の友人の顔を立てるため、

3年間、OL生活を続けました。

 

最後の関門は父でした。

 

「私の人生なんだから、私のやりたいことをやらせて!」と

父の大反対を押し切って東京へ、そしてロンドンへと旅立ちます。

 

 

 

次回へつづく

 

 

 

今、LINE@に登録いただいた方に

「パーソナルカラーが丸わかり!」なテキストを

もれなくプレゼントしています。

まだの方は、ぜひこちらから受け取ってくださいね。

 

⇩  ⇩  ⇩  ⇩

友だち追加

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

ご質問、ご相談などありましたら、

お気軽にお寄せください。

記事への感想もお待ちしています。

LINE@で送っていただくのも歓迎です^ー^

Read More

About Me

スタイル・コーディネーター
ふるたひろ美
ロンドンでファッションを学び、デザイナーとしてファッション業界に携わってきた経緯から、ファッションが持つ魅力と、お客様本来の魅力を引き出すことにより、理想的なコーディネートやスタイリングで「あなたらしさ」を提供します。

Instagram

Instagram は200を返しませんでした。

フォロー

お問合せ

  • info@kyra.style

Powered by KYRA caline