このブログ、けっこう友人も読んでくれてるようで、
概ね「面白いよ~」という感想なんですが、
「ちょっと堅くない?もっと自分を出してもいいんじゃないかな。」
というお声も。なるほど。さらに、
「いままでの歩みというか、自分のことも書いてみたら?
勇気づけられる人がいると思うよ。
ふるたひろ美という人物をもっとよく知ってもらえたら、
ブログで発信してるメッセージももっと伝わるんじゃないかな。」
自分ではそれほど感じないのですが、わたしのこれまでの道のりは、かなり面白いみたいです。
「波乱万丈だね~」とも言われます。どん底も経験しています。
私の体験が、どこかで誰かの力になる、そんなこともあるかもしれないと、
書き始めました。
ちょっと長くなりそうなので、何回かに分けてアップしようと思います。
お付き合いいただければ幸いです。
(興味のない方は、どうぞスルーしてくださいね。)
◆デザイナーになりたい◆ Personal History①
わたしは、名古屋で生まれ育ちました。
子どもの頃から、絵を描いたり、手でものを作るのが好きな女の子でした。
とりわけ洋服のデザイン画を描くのが好きで、
小学6年生の頃の作文には、「デザイナーになりたい」と書いていたほどです。
(ちなみに2番目は「作家になりたい」でした。)
友だちの誕生日には、いつもなにか手作りのものをプレゼントするのが楽しくて、
縫い物も編み物も大好きでした。
ファッション雑誌を眺めては、気に入ったコーディネートを真似したり、
手作りしたりしていました。
そうする中で、モデルには素敵でも、
自分には似合わない、バランスが合わない、
どうすれば素敵になるかな?
鏡の前で試行錯誤しながら、
雑誌の提案をそのままではなく、
自分向けに翻訳して、アジャストしていくうちに、
センスが磨かれていったように思います。
若い頃、それも思春期の頃って、
自意識過剰というか、
「そんなとこ誰も見てないし、気にしないって」
と思うようなことを気にしますよね。
私も自分の容姿の気に入らないところを
ファッションで一生懸命カバーして、
ひとつずつ克服というか、受け入れていったように思います。
一方で、中学時代はテニス、高校時代はそれに加えてロックにはまってしまいます。
音楽関係のジャーナリストに憧れ、東京の大学に進学しようとしますが、
「東京の大学に行かせるほど、うちは裕福じゃない!」
と、父親に却下されてしまいました。
そこで、東京の大学に転入が有利な地元の短期大学に進学することにしました。
ところが、ブリティッシュ・ロックに夢中になり、
ガールズバンドを結成し(ボーカルを担当)、音楽活動にのめり込んでしまい、
大学転入の夢は、フェイドアウトしていってしまうのでした。
このとき以来、歌うことはわたしのライフワークのひとつになっています。
(今はジャズを歌っています。)
卒業後、父の友人の口添えで地元の商社に就職し、
航空機関係の貿易事務の仕事に就きます。
旅客機の新機種に試乗させてもらったり、
戦闘機のコックピットを覗かせてもらったりと、
面白いこともいろいろありましたが、
今思えば、バンド活動をしたり、ファッションも個性的な(といっても、会社に通うのに問題のない範囲の服装ですよ)私は周囲からかなり浮いていたと思います。
面白いエピソードがあります。
地元の商社には、地元短大から多くの女子学生が就職していて、
私はN社、私の親友はM社に就職しました。
偶然、お互いの同僚同士も親友だったんです。
私の同僚がM社の彼女の親友Hちゃんに、私のことを「すごく変わった子がいてね」と話していたようで、
それをHちゃんがM社にいる私の親友Aに「わたしの親友の会社にすごく変わった子がいるらしくてね」と話したそうなんです。
もちろん、Aが私(そのすごく変わった子)の親友とは知らずに。
ランチタイムのおしゃべりの中で出た一つの話題だったんでしょうね。
それをAが「それってあなたのことよね」と教えてくれたことがありました。
同僚たちとは仲良くやっていましたし、
ショックという程のこともなかったのですが、
「そんなふうに思ってるんだなあ」と少なからず疎外感を感じたのを覚えています。
そんなOL生活に、かなり窮屈な思いをしていたのだと思います。
1年目に体調を崩し1ヶ月の入院生活を送りました。
診断は肝臓が弱っているとのことでしたが、お酒は飲めないので、
ストレス性のものだったと記憶しています。
今考えると、入社1年目で早く仕事を覚えなくてはいけない身で
1ヶ月も休職というのは、会社に迷惑をかけたなあと申し訳なく思いますが、
当時は、自分のことで精一杯でした。
これを機に、将来のことを真剣に考え始めます。
敷かれたレールの上を歩かされているような気持ちになっていた私は、
「これは自分が生きたい人生じゃない!」と強く思うようになりました。
このままでは、やりたいこともできずに、
流されていってしまうのではと感じるようになりました。
すぐにも会社を辞めたい、という気持ちを押さえ、
「なにがやりたいのか?」を自分に問い始めます。
昔から美しいものが好きで、
なにかを作ることが好きで、
ファッションが大好きでした。
ファッション業界で働いてみたい、という気持ちが芽生え始めます。
とはいえ、親の援助は期待できないため、
経済的にも、物理的にも、
どうやってその道へシフトチェンジしていったらいいのかわかりませんでした。
そんな時、当時、夢中で見ていたファッション関係のテレビ番組で、
世界的に有名なロンドンの美術学校の卒業制作のショーで、
ジョン・ガリアーノのコレクションを目にし、衝撃を受けます。
「これほど自分の好きな世界を具現化してくれている人がいるなんて!」
その美術学校で学びたい!という気持ちが一気に膨らみます。
そして、会社を辞め、デザイナーを目指しファッションを勉強することを決意。
資金を貯めるためと、就職時に口添えくださった父の友人の顔を立てるため、
3年間、OL生活を続けました。
最後の関門は父でした。
「私の人生なんだから、私のやりたいことをやらせて!」と
父の大反対を押し切って東京へ、そしてロンドンへと旅立ちます。
次回へつづく
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