前回の記事に「才能」という言葉を安易に使ってしまったので、
補足の意味も込めて、才能について考えてみたいと思います。
華々しい結果をおさめる人を
「あの人には才能がある」
「あの人は天才」
などと言い、
それに対して結果が出せない自分を
「私には才能がない」
と言ったりしませんか?
確かに「天才」というものはあると思います。
ただ「天才」の成分のほとんどは努力です。
というか、努力を努力と思わない純粋な行動力、
「この先に何があるのか知りたい」
そんな好奇心にかりたてられた膨大な行動でできています。
私が実際に触れることのできた
「才能がある人」たちは、例外なくそうでした。
私が10やるところを100も200もやっている、
それも難なくやっている。
少なくともそう見えました。
結果が出ないのは「やってない」から。
理由はいたってシンプルです。
「やり方」が良い悪いというのも、
ある程度の行動量をこなしていけば、
おのずとわかってきます。
なので、やる前に考えるのは意味がないんです。
「天才」といえば、
デヴィッド・ボウイが亡くなった後、
ヴィクトリア&アルバート・ミュージアムのプロデュースで
開催された回顧展を見に行ったとき、
アイデアメモやスケッチなどの膨大な資料と作品を目にして、
いかに努力の人だったかを思い知らされました。
「天才」などという言葉を使うのが申し訳ない、
と思ったほどでした。
才能を言い訳にせず、
行動を積み重ねていきたいと思います。
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