◆神様の贈り物◆Personal History③
自分のオリジナルブランドのローンチです。
最初は、わからないことばかりで、まさに無我夢中でした。
デビュー展示会も、友人たちに手伝ってもらい、
まさに手作りの展示会です。
ラッキーなことに、業界紙にも取り上げられ、
オーダーくださる取り引き先もできました。
経営のノウハウなどなにも知らずにスタートしたため、
商業的には全くの赤字でしたが、
有名セレクトショップが買い付けてくれるなど、
それなりの成果は出ていました。
何シーズンか過ぎた頃、デザイナー仲間からの
「パリコレには出ないの?」の問いかけに、
「え?出れるの?」と、素人のような反応をしていた私。
そこからの事務局への問い合わせです。
ロンドンにいた頃にお世話になった知人の紹介で、
あるサロンにコンタクトを取ったところ、
なんと、出展許可をいただけたのです。
パリコレ(合同展)出展が決定したんです!
そんな、胸いっぱいに期待を膨らませていた時に、体に異変が。。
なんと、悪性の腫瘍(癌)ができていて、すぐに手術が必要とのことでした。。
一瞬頭の中が真っ白になり、
ショックで吐いてしまいました。。。
・
・
・
でも、70%の確立で治る、という医師の言葉に気を取り直し、
一般向けの医学書を読みあさり、
それに従って、セカンドオピニオンを求め、
手術を決意。
その後、放射線治療、化学療法も受けることにしました。
この時期に、
人生について、
なにが幸せなのかについて、
ものすごく考えました。
辛い、というよりも、
「なぜ(わたしが)?」
という思いが、自分の中に渦巻いていて、
それは「悲しみ」というよりも、
「怒り」に近い感情だったように思います。
この思いは今も完全には癒されていないかもしれません。
そのときに流されなかった涙が、
もしかしたら今もまだ胸に沈んでいるかもしれません。
でも、それは決して悪いことではなく、
私の宝物だと、今では思っています。
以前はネガティブなものは良くないもので、
排除すべきもの、みたいなことを思っていましたが、
人間はどこかにネガティブなものを抱きつつ、
成長していくものなのだ、と今は思っています。
自分がネガティブなもの(悲しみや怒り)を持っているからこそ、
人の痛みやネガティブな面を受け入れることができるのだと思います。
この頃から、スピリチュアルな世界にも興味を持つようになりました。
ネガティブなものは、自分を磨くための神様からのプレゼントなのだと思います。
正面から向き合って、それを認めることができれば、宝物になります。
自分の中にあるネガティブな部分を赦すことができれば、
人はとても強くなれます。
そして、このときに痛感したのが、ファッションの持つパワーです。
おしゃれをすると気分が明るくなるんです!
入院中、少しでも楽しく過ごせるよう、おしゃれで肌に優しい下着やパジャマを、
髪が抜けたときのために、おしゃれなウィッグを、
(幸い、髪が抜けることはありませんでしたが。)
スタイリストの友人とショッピングしているだけで、
病気のための買い物なのに、病気のことを一瞬忘れ、
ウキウキして楽しかった感覚を今でもはっきり覚えています。
ちなみに、手術の際、
「できれば、(メスをいれるのは)このあたりに、こんなラインでお願いします」
と言って、お医者さまに
「さすがデザイナーですね」
と言わしめた私です。
手術後には、逆にお医者さまから
「どうです? きれいに仕上がったでしょう?」
と言われてしまいました(笑)。
セカンドオピニオンを求めたときにも痛感しましたが、
この病気で学んだことは、
自分が本当に知りたいことは、聞かなければわからないし、
またして欲しいことは、口に出して言わなければ伝わらない、
ということです。
そうしていく中で、相手との信頼関係が育まれていくんだと気付きました。
ひとりよがりの思い込みは邪魔になるだけだと。
誰かが 「聞いてくれなかった」「してくれなかった」のではなくて、
自分が「聞かなかった」「して欲しいと言わなかった」んですね。
ちょっとした疑問や要望があるときでも、ついつい人に遠慮しがちだったわたしは
「まあいいか」で引いてしまうところがあったんですが、
さすがに「癌」という病気の前では、遠慮している余裕はありません。
決して周囲に対して思いやりを欠いてもいいということではありませんが、
自分のニーズをちゃんと把握して周囲に伝えるのは、
自分の責任なんだ、と気付いたんです。
そして、半年後には、夢だったパリコレサロン出展が待っています。
癌の発覚後も、パリコレの準備は進めなくてはならず、
治療以外の時間は仕事を続けていました。
「パリコレに行く!」という目標があったからこそ、
辛い治療も乗り切れたんだと思います。
当時、なにもかもひとりで運営していた私ですが、
さすがに、パリにひとりで行って、展示会を行うのは無理です。
そこで、友人のスタイリストに声をかけたところ、
二人のスタイリストが同行してくれることになり、
その話を聞いたライターの友人もそれに加わることになりました。
友人たちのバックアップで、またも手作りの展示会です。
ブースのディスプレイも可愛く仕上がり、来場者にも好評でした。
わたしのコレクションは色使いが日本人ぽくない
(フランス人かスペイン人みたい)とよく言われるのですが、
このときも、日本人とは思われていないようで、
日本人かな?と思われる方に、
こちらから「こんにちは」と声をかけるとびっくりされました。
海外のデザイナーさんとの交流も楽しく、
ニューヨークから来ていたバッグデザイナーさんとは、
お互いの商品が気に入って、友だちになりました。
パリのプレスオフィスも決まって、
雑誌にも度々掲載されるようになり、
展望が見え始めました。
ここまでの実績で、有名アパレル、ブランドからオファーをいただき、
デザイナーとして契約。
売上を順調に伸ばし、実績を作ります。
ところが、そんな好調な中に思わぬ落とし穴があったんです。
次回へつづく